冷蔵庫と暮らし
訳あって、2年の夏休みに自由研究を行った。
まず、私が行ったことは、慶應大学の加藤文俊さんの研究室で自粛期間に行われていた、「ちょっと退屈なフィールドワーク」というものの模倣だ。
https://fklab.net/fw20s/?fbclid=IwAR2R7gFuqks0tM5d8KxFJQ4cyChPh5m4Zg1ohXv3Dzz8E5QMSoQ62CdZI1k
この、身近なものを観察して、見えてきたことをまとめるというもの。
先生にこの研究室の活動を教えていただき、「これをやってみたい!!!」
と思ったのが、きっかけだった。
この「ちょっと退屈なフィールドワーク」を行っていた方々は、”他者によって動かされるものを観察している”と自分なりに解釈した。
私は、「食」について興味があり、食に関係するもので他者によって動かされるものは、冷蔵庫だ!と思い、調べていった。
観察をどう行なったかを描いていく。
まずは記録。以下、記録方法。
・1日3回、10:30・17:00・24:00と時間を決めて冷蔵庫内の写真を撮った。
・冷蔵庫の表面にメモとペンを磁石でくっつけて、家族に冷蔵庫を開けるたび正の字を書いていってもらった。(家族には、面倒だと言われた。)
・日にちの時間ごとに、家にいたのは何人かをメモ。
これを1週間続けた。
1週間がおわって、さぁ!まとめるぞ!と写真と記録を並べて、ガッカリしてしまった。
なにも変化がなかったからだ。
あと、つまんねー冷蔵庫だなと。
記録を頑張ったのに何も分からなくて失望してしまって考えるのを1日放棄してしまった。
でも何かとりあえず結果を出したいと思って、並べた記録をとにかく書き出していった。
それでもピンとこない。
半日以上、記録とにらめっこした結果、初めて記録を並べた時に思った「変化がない」ということに「なんで変わらないのか?」と疑問を持った。
他者によって動かされる食材の出入りについて調べたかったのに、なんでこんなに出入りがないんだろう......?
移動しない食材、でも毎日の夕飯は違うものが出てくる.....何で.......。
悶々として、記録結果を見直す。よくみると、記録していた冷蔵庫を開ける回数は、1日で30回前後と、1週間あまり変わらなかった。
自分が冷蔵庫を開ける時を思い出すと、
・ご飯の時
・朝起きた時
・寝る前
とだいたい決まっていた。そういえば食材はそんなに動かしていないし、例えばお茶を取り出したら元あった場所に戻すだけ。
母がよく冷蔵庫を開けていたのは早朝にお弁当を作る時。これは、1週間のうち、平日の朝7時までの時間で、この時間は他の時間帯よりたくさん開けられていた。
もしかして、冷蔵庫は生活リズムとかかわっているのか?
とひらめいた時いろいろと繋がった。
そして、
「変わらない冷蔵庫内=変わらない生活リズムなのではないか。」
という仮説が生まれた。
家の外では毎日違うことが起こっているのに、家の中では行うことは大体決まっているということにも気付いて、ハッとした。
以下が、仮説に対しての自分の考えのまとめである。
細かい位置は変わっているが、全体を通して同じものが常にある。冷蔵庫の中身の変化のなさは、「生活リズムの変化のなさ」なのではないかと感じた。
冷蔵庫にはなぜ目新しいものが現れないのか。
生活は、同じようなことが同じように起きて、回っているからか。人間の基盤となる生活(家の中での生活)は毎日変わらないもので、そこに毎日変化する行動・毎日違う用事(家の外での出来事)が加わり、それをまとめて「暮らし」というのではないか。
今回の調査で、毎日変化が起こる家の外での行動とは相対して、
基盤とする家の中での生活には、「刺激・変化」は求めておらず「安心・安定」を求め、人間は暮らしにおいて安定と変化のバランスをとることで生きている
ことがわかった。その表れとして、家の中の生活に深く関わっている冷蔵庫の中はは大きな変化が生まれない。
冷蔵庫の写真と記録からはこの仮説が生まれたということが収穫できてよかった。
調査結果:
生活に直結している「食」を観察していたら、「変わらない暮らし」が見えてきた
本当にこの仮説や考えがあっているかはわからないし、他の人の冷蔵庫を観察したらまた違う気づきがあるのかもしれない。
「家の冷蔵庫、一週間記録させて!」なんていろんな人に言って回ったら変態だと思われて友達がいなくなってしまいそうなので、自分の家以上に調査を広げることができないのが悔しい。